(国)登録有形文化財建造物
原田家住宅保存活用計画
本計画は、一般社団法人静岡文化財保存活用機構が、国の登録有形文化財建造物原田家住宅3棟(主屋・文庫蔵・表門)の
保存・活用に関する方針を定めたものである。

 

映像制作:(株)バイオニック 撮影編集:山口嘉宏 http://nagune.moo.jp

原田家の沿革( 故・原田昇左右 元建設大臣の生家)
原田家が現在地に居を定めた時期については定かではない。原田家所有の過去帳では初代が寛文3(1662)年とされ、元々は瀬戸川沿岸の源太夫島に居宅があり、そこから現在地へ移ってきたとされる。文政3(1820)年に島田の桑原藤泰によって記された地誌である「駿河記」には、「里民鹿五郎邸山を殿之山と称す」との記載があり、原田家が現在地に定着していたことが分かる。
「焼津市民俗調査報告書」第2集 浜当目の民俗(焼津市市史編纂室編集2003)では、原田家が「浜当目の七軒」に挙げられていることで、江戸時代には浜当目の庄屋を河合家とともに務め、近隣数村をまとめる大庄屋であったとされ、藻塩の元締めとして財を成したと思われる。

天正10年(1582)の当目合戦で、徳川家康が武田勝頼を打ち破った際の、家康の朱印状(焼津市文化財)が当家の蔵に残されている。
明治期の当主原田悌三郎(ていさぶろう)は、明治15(1882)年に地元有志とともに焼津銀行を設立し、同22(1887)年には14ケ村が合併して設立した東益津村の初代村長に就任した。悌三郎の子、格次郎は大正3(1914)年から昭和2(1927)年まで同村長を務めた。
格次郎の孫であり、富夫の子である原田昇左右(しょうぞう)は、農林省・運輸省に入庁し、昭和51(1976)年、衆議院議員に当選し、平成15(2003)年まで9期にわたって衆議院議員を務め、衆議院予算委員長、建設大臣を歴任し、平成18(2006)年に亡くなった。

保存計画
原田家住宅の保存計画では、屋根一部葺き直し、外壁・外部建具の清掃・塗装、内壁・天井・内部建具の清掃・塗装・貼り替え、左官工事、畳など汚損劣化しているものの交換などを行い、美観を回復させるとともに、建築当初の状態に近づけることによって、焼津地域を代表する日本建築の価値を取り戻す。

活用計画
修繕後は、HPやSNS等で修理完了の情報を更新して広報するとともに、静岡県、焼津市などへも広報の協力を依頼し、原田家がリニューアルした情報を発信していく予定。
本計画地は、国際線乗客数が全国11位の富士山静岡空港から1時間以内の場所にあることから、焼津市が訪日外国人の誘客を積極的に行っている花沢重要伝統建造物群保存地区や、日本人の食文化を代表する魚市場などの魅力的な観光資源と連携させていく。

活用にあたっては、静岡県主催のイベント等と連携した食体験のイベントを開催するなど、静岡県・焼津市と連携して情報発信を行い、焼津市と協力して原田家住宅の魅力を伝える。当面は焼津市文化財の活用イベント(文化財のガイドツアー)のルートに位置付け、花沢重要伝統建造物群保存地区や焼津漁業発祥の地にある服部家住宅などとの比較を通じて焼津市の歴史や文化を理解するために協力していく。また、焼津港が全国の漁港の拠点港であることを活用し、漁業や漁港の重要性、魚食の魅力を発信する。さらに外国人客が多く訪れる「焼津さかなセンター」と連携した食イベントなどを計画する。くわえて、近在の静岡市用宗地区の古民家などど連携し、食イベント等を開催することを計画していく。



活 用 イ メ ー ジ

 

本計画地は、国際線乗客数が全国11位の富士山静岡空港から1時間以内の場所にあることから、訪日外国人の誘客を積極的に焼津市が行っている。近くにある花沢重要伝統建造物群保存地区や、日本人の食文化を代表する魚市場などの魅力的な観光資源と連携させていく。

全体イメージ 

 

 

主屋の座敷(広間、中座敷、奥座敷)を中心とし、共有空間(シェアリングスペース)として食文化のイベント等に活用する。イベント等を通じて得られた定期的な利用者を中心に、インバウンドにも対応すべく、ふじのくに静岡に特化した食文化体験(茶のテイスティング、そば文化体験、かつおぶし文化体験、その他)の場所として活用する。

 

既存の設備等を利用しながら、常設のレストラン、カフェを開設し、ふじのくに静岡に特徴的な食事・食文化体験を提供する。また所有者である原田家の歴史や建造物の歴史、焼津の歴史・文化を紹介する多言語での展示を行うとともに、地元の産品を取り扱う物販施設等として活用を行う。

 

南側庭園からの眺め

日本の伝統的建造物が味わえるしつらえをしていく。外国人客が和の良さを感じるような飲物や甘味類も提供していく。

主屋からの眺め

室内では焼津の魚と地元野菜を中心とした料理の提供やイベントを行う。また、焼津の歴史にまつわる資料もそろえ、外国人客にも対応できる様な設備にしていく。

北側庭園からの眺め

野菜栽培教室による地元野菜を中心に料理の提供材料を育てていく。庭では地元の食材市などを開催する。



小渡デザイン室画

 

原 田 家 住 宅 の 情 報

(国)登録有形文化財建造物の名称等

名称
原田家住宅(はらだけじゅうたく)4棟
●主屋(おもや)
●文庫蔵(ぶんこぐら)
●表門(おもてもん)
※今回の保存活用計画は、主屋、文庫蔵、表門の3棟を対象とする。

登録年月日
平成30年3月27日

所在地
静岡県焼津市浜当目一丁目492



 

建造物の構造及び形式(現況)
●主屋/木造平屋建、寄棟造桟瓦葺/桁行16.7m(八間)、梁間10.4m(五間)/登録番号22-250
●文庫蔵/木造2階建て、切妻造桟瓦葺、漆喰塗土蔵/桁行7.2m/梁間5.0m/登録番号22-252
●表門/木造、切妻造桟瓦葺、真壁造漆喰塗/間口4.6m/登録番号22-253


主な増改築の履歴
主屋は明治8年(1875)建築で、明治後期にオクザシキ、オクナンド、エンガワが増築されている。さらに、聞き取り調査により昭和40年代頃に西側に書斎・寝室(以下、書斎)が、北側に台所等(以下、台所)が増築されている。この台所の増築に伴い、主屋の土間から床に改築した可能性が高い。

文庫蔵は現状では棟礼など建築年代を示す資料が確認できないが、梁はチョウナで仕上げられ、和釘と洋釘が併用されていることから、現在残る原田家住宅の中では最も古い明治初期の建築と考えられる。記録はないが、屋根替え、東側外壁に波状鉄板での補修、梁の鉄骨補強が行われている。

表門(両脇に長屋が増築されており現在は長屋門形式となっている)は、現状で棟礼など建築年代を示す資料が確認されていないため不明であるが、瓦に桟瓦の古瓦が用いられるなど、明治後期~末頃の建築と考えられる。長屋の増築年代は長屋の調査が行われていないことから不明であるが、表門だけ建設したとは考えにくいため、両長屋が付属する長屋門として建設された可能性が高い。
このほか敷地内には、文庫蔵の西に土蔵1棟、長屋の東側に付属する倉庫、さらに庭を挟んで木造2階建ての倉庫がある。さらに、敷地の北西に稲荷神社が、敷地西端には山の神社がある。原田家住宅としては敷地内に登録有形文化財を含む合計10棟が建設されていた。
土蔵が昭和40年代の台所棟等の増築時よりも前に建設されていることから、明治後期の主屋増築、離れ建築の際に土蔵も建設され、この時期に原田家住宅の主要な建物が揃った可能性が高い。

管理団体の名称

一般社団法人 静岡文化財保存活用機構(平成30年文部科学省告示第55号:管理すべき団体指定 令和2年11月4日取得)

〒420-0032 静岡県静岡市葵区両替町二丁目4番15号 静岡O.Nビル6階 Shimamura建築研究所内


原田家住宅の保存活用計画整備事業
原田家住宅においては、大規模な修繕が必要な
状態にあることから、当案件への寄付を募っております。

国、県等の公的補助を得ながら進めて参りますが、建造物の保存活用にあたり多額の費用が必要です。